4歳と山で暮らした話15 お客さまと百日紅とピザ



会いに行ったり会いにきてくれたり。

夏はお客様がたくさんだった。

感想「山だね?!」「うん、思った以上に山なんだけど」「あれあっちゃんち?」「ヤマネでるかなあ」
山の家での生活はインスタで更新していて、友達ともいつもそれで交流していた。
ラインもあるし、meetで会議もよくしていたからあまり友達付き合いは変わっていないような気でいたけれど
だから寂しくなんてないような気がしていたけれど
そんなことはないみたいだった。

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実家は毎週日曜日に大叔父がケーキや和菓子を持ってやって来て、それを食べてしばらくしてから夕飯の準備に取り掛かる。笑点の頃には祖父も父も風呂から出てビールを飲んで枝豆を食べていた。それは私の原風景でもある。みんなでわいわいご飯を作ったり、食器の準備をしたり。めいめい大人たちが色々話をしているところ、誰かが旅行帰りならその旅行の話などを父の膝で聞いた。

よくお客様が来る家だった。祖父の仕事仲間、父母の友人、母の保育士仲間、、、そして私の友達。合宿所みたいに古い家によく泊まりにきていたことがあったかい思い出としてずっと心にある。

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久しぶりに家に二人より多く(ヤマネはいたけど)ひとがいて楽しかった。

「お友達が来るの?そしたらあんたうちの布団持っていきなさい」

と言ってくれたので、前の日にあっちゃんの家の二階に布団を干させてもらった。それであっちゃんの家にみんなで布団を借りに行ったりするのが田舎のおばあちゃんちに遊びに来たみたいですごくよかった。私は祖父母も一緒に住んでいたし、親戚は全部東京にいて、いわゆる田舎がない。だからうれしかった。良いなあとアニメやドラマを見るたび、友達の話を聞くたび思ってたそういうのが、その夏には全部つまってた。

友達が来ると、一人じゃ行かないところにも行くことが出来る。山の中でやっている展示を見に行ったり、少し離れた場所にある洒落たパンと雑貨の店に行ってみたり。友達の知り合いがやってる店やゲストハウスに遊びに行って色々話を聞いたりもした。
友達っていつも私の世界を広げてくれる。

私は好きなひとたちにすてきな物や場所を見てほしい、喜んでもらいたい、といつも思っているらしい来てくれた友達を好きな場所に連れて行けることがうれしかった。

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喜んで貰いたい以外にも、自分の見てる世界を共有してほしいと思ってるのかもしれない。

みんな「インスタで見たのここか〜!」と言っていた。

そして母も来た。
「涼しいわあ!寒いぐらいね」

東京にいる時は私の状態が最悪だったので、特に離婚を決めるまでの間は全く会わなかった。「史上最低な年明け」と母が言うように正月にも顔を出さなかった。特に母との関係はどうしようもなくて、反抗期も特になかった私と母の関係は人生で最悪のものだった。実家の横を通るだけで具合が悪くなっていたものな。

そんな母を乗せて車で1時間ぐらいドライブしながらレストランに行った。そこは家族でよく行ってた家の近所のレストランで働いていたシェフの人が、地元でその味を広めたいとひらいたお店で、たまたま山の家から割と近にあったので2人で行くことにしたのだった。

車から降りると肌寒かった。

「こんなに涼しいんじゃ百日紅咲かないね」
「そうねえ、街の方でも見ないからなあ。北限は宮城だからこの辺でも育つとは思うけどね」
「そうなんだ」

「ねえ私の百日紅、いつまで咲いてたっけ?」
「うーん、あんたの百日紅…どうだったかな」

私が生まれた時に記念樹として祖父が裏の公園に百日紅を植えてくれた。当時、自治体で記念日に植樹をする事業をしていたのだ。それが嬉しくて行く度に見ていたけど、いつしか枯れてしまって抜根までされてしまっていた。

「だんだん…夏になっても花がつかなくなって、あぁ〜元気なくなってきちゃったなぁと思って…そのうち葉も減ってきてさ」

グラスを持ちながら思い出すように目をぱちぱちして母が言った。

「元気ないよなあ、もうダメなのかなあと思ってさ。通るたびに見たり撫でたりしてさ」


「…ずっと気にしててくれたの?」

つい泣いてしまった。
好きな木の元気がなくなっていくのを見るのはとてもかなしいことを、私は知っている。

「当たり前じゃない。まぁ近かったのもあるけどさ」

そういうとティッシュ差し出した。

「私のはさ、乙女椿なんだ。ちょっと遠い公園なんだけど、あるんだよ」
「そうなの?」
「むかしあんたと一緒に見に行ったよ。もう生垣みたいにうわっとなってた」
「わあ覚えてないな」
「そうだよねぇ。それももう30年ぐらい前だもん」
「みんなの分があるの?」
「そうだよ。じじとばばのはどこだったかな。ひいじいとひいばあは〇〇公園にハナミズキがある。」
「知らなかったなあ、もうその記念樹の事業はやってないの?」
「やってたら孫ちゃんの時にやらないわけがないじゃない」
「そうだよねえ」

住んでいた町が一定期間行っていた記念樹事業があった。その事業で申し込んで植えた私たち家族の記念樹は、その町のいろんな公園に植えられているのだった。

自分の家族の木が公園に植わってると公園にも街にも親近感が湧くよね、なんて話をしながらピザを食べた。母と食べるピザはとってもおいしかった。

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