4歳と山で暮らした話⑦春、山は笑う
月に一度、保育園への送迎がある。
月末の金曜日と次の月曜日は昼寝布団を持ち帰り&持っていかないといけないのだ。町の保育園まで行く途中、結構な山道を通り、そのあと山がひらけていわゆる田園風景になる。
そこから見る山がいつもと違った。
何というか…トーンアップしてる気がした。
春の季語である「山笑う」。
中国の山水画の大家、郭煕(かくき)が書いた山水訓の
「春山淡治にして笑うが如く」が元で
「春の山が芽吹いて笑っているようだ」
と訳されてることが多いみたい。
淡治、ということばは「たんや」と読むそう。
「淡治…あっさりしてなまめかしい様」
……あっさりして、なまめかしい…?!?!
(2021年のおれ:それってキムナムジュンでは…)
たしかに最近の山は赤みを帯びて、なんだかあっさりなまめかしい…!
まだ木々は芽吹いていないけれど、芽吹いている時よりもその前の力を溜めている瞬間、その方がずっと「山笑う」なのじゃないかな?と思う。
山の日記
20180311
味噌作り
クリスマスにヘクセンハウスを下さった料理家のひとにお味噌作ってみたいんです、と言ったら、なんと小規模のワークショップをひらいてくれた(!)ので、子と参加することに。
大豆をふっくらと蒸篭で蒸したものをつかって、お味噌の仕込み。花が綺麗にさいた糀をみんなでまぜまぜこねこね。
糀はじんわりと暖かい。混ぜていくうちに手がしっとり、心なしかふっくらとしてくる。
おもしろーい…!タッパーに仕込んだあとは、去年仕込んだというお味噌を使って先生が作ってくれたお味噌汁のランチ。
甘酒のドレッシングが美味しかった。自家製の梅干しも。山暮らしの話をしながら参加したひとたちとご飯を食べる。街の人たちも山の家のあたりには滅多に来ないので、あんなとこでどうやって暮らしてんの?という話を中心に…。下に降りて行くまでにすれ違うのは人より車より圧倒的に鹿です、と言ったらうけた。鹿、そんなにいない?
今度先生が蒸籠持って山の家に遊びに来てくれるとのこと。楽しみ。
20180306
毎日山を見てると山が描きたくなってくる。
毎日見ていてもその全容、その感じ…が掴めなくて、そもそも掴もうと思ってるのが間違いで、でも知りたい。味わいたい。実体を掴みたい。
これなんだっけ?なんていうんだっけこの感じ…ああそうだ、恋だ。片想い。
自然相手に片想いとかすごいコスパ良い気がする。
ええい、徒手空拳で山の絵を描くのだ。
手を動かすことでしか見えないことやいけない場所、分からないことがあるはず。
20180311
池の氷は溶けた。まるで鏡みたい。
今日の山はハッ!とするほどセクシーだっだ。
朝の山ってどうしてこう、色んな表情するんだろう。
もちろん本当は1秒だって同じ顔してないのだけれど。朝は特に差が激しい。
山はぼんやり白いもやで覆われている。
これを俳句の世界では、春は霞(かすみ)といい、秋は霧(きり)というそうだ。
気象用語では靄(もや)、霧(きり)という。霞(かすみ)は気象用語ではなく、季語。
霞は春の季語、霧は秋の季語。
霞と霧は同じことなのだけれど、春に出る霧のことを霞というのだそう。
たしかに今の時期、空には霞がかかっているように見える。雲が低いような感じというか。でも重いわけじゃなく、遠くの山々がぼんやり見えるのがとてもきれい
夢の中のような山々。
仙人は霞を食べて生きている設定だが、つまりそれは仙人がいる世界は常に春、常春であるのかな?
もしくは春にしか霞食べない?
どちらもありそうだけれど。
つづく